切り離された犬たちとリバーズ・エッジ 〜情緒の不安定と人格の多様性〜

ひょんな会話のくだりから、感情の「不安定」と「多様性」のあいだの差異について思考を巡らせました。

要するに、情緒が安定してるということは、一貫性がある、ということであって、多様性とは相反するものなのだろうか、と。

そこでイメージしたのは「犬」でした。

ぼくたちのなかには色んな犬が飼われていて、物憂げな老犬もいれば、闘志剥き出しの闘犬もいる。甘えん坊のミニチュア・ダックスフンドも、右足に傷を負い、足を引きずる薄汚れた柴犬もいる。

そういった雑多な犬たちが、檻に入れられているのです。

そして、主人はときどきリードで繋いで散歩をさせたり、檻から放す。そのとき自分の気分や天候、一緒に散歩をする人たちなどを考慮して、どの犬を連れ出そうか考える。
 

種類や状態、見た目や声、それこそ色んな犬がいます。

それが、それぞれの人格に備わってる「多様性」なのだ、と思いました。

また、そのなかには檻から出てはいけない犬もいるのです。だれかを攻撃してしまったり、あるいは、抱えた傷のせいでだれかに攻撃される危険性から檻にかくまわれてる犬がいる。

何か緊急事態に陥ったとき、こころは自分を守るために自分を切り離す、と言われています。まるで他人事のように感じることで、「傷ついてるのは自分じゃない」と錯覚させて、崩壊を避けようとする。
 
これは「解離性障害」と言われる現象のひとつです。


1、現実と夢

現実に起きていることなのか、夢で見たことなのか、わかりません。

2、過去と現在

いったい今がいつなのかわかりません。過去と現在が重なっている感じがします。

3、生と死

生きている感じがしない、自分は無機物、他人とは違う生き物だと感じています。

引用 解離性障害ガイド

でも、現代人、特に若者には、こういう人が多いと思います。

話が広がりすぎるのでさらっと触れる程度にしておきますが、オウム真理教の信者もそういう人が多かったそうです。作家にも多いでしょうね(現実感が乏しいゆえに、「書くこと」に現実感を求めるのです。でも悲しいかな、「書くこと」によって現実感から離れてしまう)。

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これを特別なアイデンティティだとして大切に抱えてる知り合いも二、三人いました。

もちろん、とっさのトラウマ=傷の結果である場合もあるでしょうが、蓄積されたストレスの結果の場合もあります(分かりやすいのが過労の末の「魔が差した」というやつですね)。

これは多かれ少なかれみんな持っているのです。

だからセックス依存症や自傷行為、麻薬、アルコール依存、ジェットコースターや少し前であれば暴走行為が流行る(岡崎京子の漫画「リバーズエッジ」では、現実感に乏しい若者が川沿いの死体に救いを求めてるというシーンが描かれていました)。

こんなの、アイデンティティでも狂気でも天才性でもなんでもない。崇めるものでも、忌避するものでもなく、ちゃんと対策を真剣に考えなければ(向き合わなければ)いけないのです。

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話がどんどんと脱線してしまいましたが、要するに話したかったことは、そうして切り離した犬もいて、ぼくたちの檻には(まだ)触れてはいけない犬も存在する、ということでした。

主人がしっかりと選べているうちはいいのです。リードを握っているうちはいいのです。

それは「多様」な面を備えた魅力的な人物と言えるかもしれません。

しかし、「不安定」が進めば、それは檻が失われて、主人も存在せず、もちろんリードもなく、好き勝手に犬が放し飼いにされる状態と一緒なのです(これが押し進められて、一匹ずつが独立してしまう状態を、多重人格障害というのかもしれません)。

なぜ主人が存在しなくなってしまってるのか、主人とは何か、どうすればいいか、そのあたりはこれまでの記事をつまみ読んでいただければと思います。
 

ぼくは昔からアルコールが苦手でした。正確には、みんながアルコールで酔っぱらった空間ですね。その「主人」の失われたグロテスクな世界が、とても恐ろしいのです。

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